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心配性のなおし方

心配性で疲れ果てていませんか?心配はやめられます!

もう心配しない!こころをふわふわにして毎日を楽しく過ごしましょう

「心配」辞書に載っている言葉は

物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。

心配性って、本当に疲れますね。ワタクシも疲れております。何を心配しているかというと、

70代後半の母の経過観察です。

がんのハイリスクグループでして、半年おきに検査をするのです。かれこれ3年ほど続けているのですが、毎回検査の結果を聞きに行くのが心配すぎてつらいわけです。私も。母も。

検査が決まってから検査の当日、そして結果を聞くまでの2週間。うまくやり過ごしながら付き合うべきなんだけれども、筋金入りの心配性ですので大変体に悪いのです。

さすがにもうやめたい。心配するの終了!と思ってこのたび全力で悪魔と戦ってみました。

今回は心配性をどうやって治すか。やめるかです。

みなさん、心配で人生つまらなくしていませんか。

このサイトのメインテーマであるといっても過言ではない問題と全力で向き合ってみましたので、すぐ心配になってしまう方、ぜひご一読ください

 

心配するメリットはあるのか

 

心配なんてしないで済むならしないほうがいいですよね。消耗するし、ピリピリイライラするし、楽しいこともおいしいものもちっとも味わえなくてつまらないです。第一体に悪いです。

では、心配すると良いことはあるのでしょうか

ほとんどありません。ひとつだけあるとすれば、心配な事柄に対して必要な対策をすることができること。

苦手科目の試験をイメージすればよいとおっしゃる先生がいらっしゃいました。

苦手科目の試験があると、いやだし、心配です。でも避けて通ることはできません。

なぜ嫌なのかを考える⇒苦手だから⇒苦手な理由を考える⇒対策する

なぜ困るのかを考える⇒対策する

必要な対策をすべてしてしまえば、それ以上に打つ手はありません。神のみぞ知るです

いきなり脱線しますが、心配性は仕事や生活でとても役に立つクリエイティブな才能なのです。起きてもいないことをありありと想像して対策するこの緻密な作業がなければ立ち行かないことは多いのです。心配性の人が集まってプロジェクトを組めば盤石です。なかなか進まなそうですが・・

考えてみればわたしもこの心配力を法務と危機管理の分野でだいぶ使ってきました。心配性だから選んだ職業ではないのですが、法務で培われた想像力が危機管理で増幅したものと思われ。常に最悪の事態を想定して進めることがクセになって私生活で苦しんでいるわけです。

職務上最悪の事態を想定して進めることと、私生活で最悪の事態を想像することは似ているようで全く違います。

心配するという点においては全く同じ。でも、仕事の場合は対策するために心配します。仕事のために心配するのは自分の問題を心配するわけではないので冷静で、どんどん穴を見つけて対策することができます。心配というよりは想像力。心配力です。

私生活の心配は、同じである場合もあるけれど、ほとんどの場合ぼんやりした不安や焦りに基づいた具体性のない心配です。具体的な対策が取られることもほぼない。心配という名の不安です。心配症。

心配事と自分との距離が近いほどおかしな心配の仕方になるようです。

そこに心配顔をした悪魔が寄ってくる。

心配して良いことはほとんどないけれども、必要な対策が取れるという意味では非常に大切なことです。己を知り敵を知れば百戦あやうからずです。

では、心配することによるデメリットはどんなことがあるのでしょうか。

心配するデメリットとは

 

まるでメリットのように見えてしまう、心配することによるデメリットがある

①予期せずに訪れた出来事は衝撃が大きい。ショック大です。このショックを和らげる作用があります。

心配していなかったことが突然起こって呆然としたことがある人は多いはずです。

心配してある程度覚悟することで衝撃の落差を縮めることができるのですが、体がストレス状態になることはよくない。衝撃が大きいのも体に悪いが、長期間ストレス状態でいるのも同じくらい体に悪い。

 

②心配するとジンクスや縁起をかついだり、一日中祈っていたりする。

悪い結果が出たときにこれをしていなかった場合に

縁起をかつげばよかった。心配して祈らなかったせいだ。と考えてしまうかもしれないという不安につながります。

 

くだらないこと言ってますね。ジンクスとか縁起とか。

 

でもこれ、くだらなくないんですよ。

 

まずジンクス、縁起をかつぐというのは無意識のうちに儀式化していると、心配事の内容とは関係なく儀式そのものにとらわれてしまう

 

良いことがあるようにと縁起をかついでいたのに、それをしないと悪いことが起こるような気がしてしまったり、不安になってだんだんジンクスが増えてしまったりする人がいます

 

祈ったらうまくいった経験があって、祈れば届くと思い、一日中祈り続ける(=一日中心配している)人がいます。

不安になって思い煩うのと、祈って預けるのとは全くの別ものです。不安は悪魔の罠だと思いましょう。

 

思い当たることがありませんか

知らず知らずのうちに心配の負荷がかかっていないでしょうか

これらは心の習慣なので、なかなか簡単に消し去ることはできません。心配しないと決意するとか、ジンクスをやめてみても何も起こらないことを確認する経験を積み重ねるとか、地道に心と体を慣らしていくしかない。

自分がそうだったのですが、祈ればよいと思って一日祈っていると一日中心配していることになって消耗します。祈ったら安心して心配も祈ることも忘れなければいけないのです。

後でお話ししますが、冷静に対策した後、最後に残るのはこの習慣です。しんどさの原因がここにあるといってもよいかもしれません。

心配なことの内容によって対策は変わる

ポイントは対策がとれるものなのかどうかです

①試験や、仕事や、子育てのことなど学んだり、考えたり、調べたりして打つべき対策がある場合

職務上のリスクマネジメントとしての心配とほぼ同じ対応ができる心配事です。

現実と向き合うと大変なことになっていそうな予感がして見たくないのが人情ですが、放置すると心配も、事態も悪化するかもしれません。

打つべき対策がある場合は、向き合うことが重要です。

ここは冷静に対応します。

昼間、コピー用紙とペンを用意してから始めます。夜は絶対ダメです

紙に思いつく不安やなんやかやをすべて箇条書きで書き出します。心の中にあるものがすべて出切ったところで、問題解決のためにやるべきこと、アイデアを書き出します。

紙に書き出すと、頭の中でもやもやしていた状態よりはるかにシンプルで難しくないということがわかります。自分の頭の中だけで考えると堂々巡りをして複雑に思えてしまうので、紙に書き出すとこんな簡単なことだったのかと思うことは多い。そして、頭の中の複雑になってしまった重たいデータを紙に移動してストレージを空けることは本当に心が軽くなることなのです。

怖くて向き合えないと思っている方にこそぜひやっていただきたいことです。

思い詰めていたことは、思っていたよりずっと大したことではなかったと思えるはずです。

あたりまえのことですが、やるべきことをやってしまったらもう自分にできることはないのです。

②自分ではどうにもならない場合

病気とか、安全とか、終わった試験の結果とか、生き死にのこととか。自分ではどうすることもできないことである場合はどうすればよいのか。

祈る。願う。全力で。そうしたら安心して心配と祈ることをやめる。以上。

神様仏様の話になると抵抗のある方もいらっしゃるかもしれませんが、

この世の事柄がすべて科学や人間の能力で説明できると思っている方は少ないはずです。

ひやっとしたとき、はっとしたとき、あと少し何かのタイミングがずれていたらということは誰にでもあることで、そのときに何かに守られていると感じたことはないでしょうか。

何が私たちを守ってくれたのかはわかりません。でも、「何か」は多分あります。

先人の知恵でも、禅の教えでも、仏教でも、キリスト教でも、わたしたちのよすがとなることばがたくさん語られています。

 

 

たとえば、夜布団に入ると、心配事を考えてしまって眠れない。よくあることですね。

でも、朝起きて考えてみると大したことじゃないのに恐ろしいことのように考えていたことに気付く。だから夜は考え事をしてはいけない。

このことを、わたしは母や子どもに「悪魔の罠」なんだよ。悪魔に取合ってはいけないんだよ、と話してきました。悪魔がいるのかはわかりませんが、わかりやすかったからです。

悪魔が怖い話をしてきたときは、明日の夕飯のメニュー(一番面倒くさくて害のない問いだから)を考える。決まったら明後日の夕飯のメニューを考えよう、という決まりにしてあります。たいがい、めんどくさくなって眠ってしまいます。

なんと、この「悪魔の罠」「悪魔と話をしない」は聖書にあるんだそうで、

「思い煩うことはサタンの罠」で、サタンに立ち向かうには、思い煩わないで神様に預ける。神様に思い煩いを全部委ねたら、サタンに立ち向かうことができる。

マタイの福音書六章 三十一節に三十二節

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」

ペテロ第一の手紙五章七節

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

わたしが心配しすぎているときに、子どもの恩師であるシスターが

「心配事は神様にお預けしたらみんな忘れてしまいなさい。神様がよいようにしてくださいますから。祈っときますね」とおっしゃいました。

心配は自分でなんとかするものだし、心配しなければならないことだってあるでしょうに、と思いつつ、神様にお願いしてみんな解決するならこんなに素晴らしいこともないと思ったものでした。

神様に祈ったら心配事はみんな忘れちゃっていいのか。それは本当か。

これが結構長い間謎のテーマでした。

結論は、祈ったら忘れちゃっていい。だって自分でどうにかできることはもうないから。

上記の出来事からしばらくして引用のように、人の心の弱い部分や隙間につけこんでくる「サタン」という悪魔がいて、心配事を言葉にして祈れば神様が良きようにしてくださるという教えがあると知りました。

掲載は省略しますが、マタイの福音書七章七節から十一節には

「子供がパンを欲しいと言っているのに石を与える親はいないように、天の父(神様)が私たちに良いものを下さらないはずがない」という内容が記されています

良いものを下さらないはずがないというところがポイントで、

願った通りのものがいただけるとは限りません。

神様の言う通りですから、神様は意外なものを下さるかもしれません。

でも、良いものでないはずはない。

願った結果通りにならなかったことは、神様からのサイン。必ず良い方向に進む道が用意されている、ということです。

「ピンチはチャンスに変えることができる」

「人間万事塞翁が馬」長い目で見れば短期的な結果より良かったことも多いのです。

考えれば道はある。

だから、しっかり祈ったら、安心して忘れること

 

はっきり言葉にして、祈る。安心して忘れる。心の作用にも大切なことです。

人事を尽くして天命を待つ。学生の頃よく聞いた言葉です

 

それから心配にはひとつ勘違いポイントがあります

それで心配事が的中してしまったときはどうするのか

これは、「心配」ではなく、「現実に起きたこと」です。

これを考えて思い煩うことを心配と呼ぶのですね。

辞書には「物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。」と書かれていますが、わたしは

心配とは、起きてもいないことを必ず起きることのように想像してしまうこと。だと思います。

的中してしまったら、もはや心配ではないわけですが、

「自分ではどうにもならない受け入れられないこと」と出遭ってしまったら、

「受け入れよう」とするのではなく「あるがままに淡々と受け取っておけばよい」。

次第に状況に慣れて、その状況と共存することができるようになってきます。

その状況で「どうにかなる」ことを見つけて「どうにかしていく」。

想定できる悪い結果に対して準備できることがあるのであればそれは間違いなく準備すべきですが、準備できることがないのであれば結果が出てから「どうにかなる」ことを具体的にやっていく、で良いのです。

そして、できることをやりきったらまた祈る。心配はやめる。進むべき道は見えてくるはずです。

さて、わたくしの心配事「母ががんと言われたらどうしよう」ですが

以下のように紙に書き出してみます

 

検査の結果を聞くまでにいつも心配して消耗しきってしまう。これはなぜ?

①まだ親孝行しきれていないから⇒はい、今日から親孝行します!!

②誰にでも死は訪れるけれども、がんや認知症で死なねばならないということはないだろうと思うから

③いつまでも元気で長生きしてほしいと願うから

 

頭の悪い感じのメモになりましたが、気を取り直して。これはほぼ自分で対策できることがないパターンの心配事です。

 

②③病気や生き死にの問題は自分ではどうにもできないので祈ります。

①は親孝行していないのがいけないので親孝行することにします。

神様仏様ご先祖様に言葉にして全力で祈りました。

あと数時間。結果がわかるまで一切の心配をやめてみます。

 

さて、どうでしょう。

 

頭の中に不安は一切ありません。心配の気持ちはゼロです。

 

ですが、動悸が止まりません。

 

心配して体に悪い理由がこれでした。

心配するデメリットのところに書きましたが、

予期(心配)せずに訪れた出来事に対する衝撃は大きい。つまり、副交感神経優位のリラックスした状態でショックな事態に見舞われると急に心拍や血圧が上がり、落差が大きい分ショック度が高い。だから体が身構えて事前にドキドキしておこう、ということに違いないと思います。ショックで死なないように。

これはどうにもなりません。体の防衛反応を止められたとしても、ショックで死んだらいやだし。いやだけど、体が危険を感じて頑張って生きようとしているのですから、自分の自律神経のすばらしさを認めて、えらいな、と思っていましょう。

散歩などに出かけると気分が変わって楽になります。あまりにどきどきしたら気分転換を。

母から留守電が入っていたのでどきっとしましたが、今度は別の検査をするからカレンダーを見てほしいとのこと。検査結果は変化なしで無事終了のはずだったのに、また別の検査の結果を待つのかと。でもきっと大丈夫だ。守ってくださった皆様に感謝です。

まとめると

心配なことがあるときは

①昼間の時間帯に、コピー用紙数枚とペンを用意して、心に浮かぶことを全部書き出す

②不安なことが出尽くしたら問題解決のためにやるべきこと、アイデアを全部書き出す

③できる対策を全部やる

④自分ではどうにもならない問題だけになったら、言葉にして本気で祈る

⑤しっかり祈れたら、安心して心配と祈ることをやめる

道は必ず開かれます

文字にしてみると、あたりまえのことですよね。どうして余計なことをしてこじらせてしまうのでしょうかね。

最後に、

心配しない!と決めたらどんなメリットがあるのか

心配して良いことはあるのか?のところでもお話したとおり、心配性の人は元々リスクヘッジの能力が高いのです。落とし穴に気付ける。ということは、心配性の人は知らず知らずのうちに見つけて、考えて、対策しているので、まずひどいことにはなりません。

心配をやめても気づいたことや見つけたことにはこれまで通りきちんと対策する必要があります

 

やることやって、神仏に祈ったら忘れちゃって良いというだけで相当楽ですが、

・イライラしない

・クヨクヨしない

・メソメソしない

となると、ポジティブ思考でいられます

・明るく

・前向きに

・気分よく

・自分にも家族にもよその人にも、余裕があればイヤな人にだって優しくいられます

人生を生きるのに、日々こんなにもしなやかで軽やかに過ごせたら最高だと思いませんか

長い人生を終えて、もしもこの世を見に来ることができるとしたら、どんな世界に見えるでしょうか

思い煩いもなく、優しいまなざしで見るこの世は愛すべき世界に映るに違いない

この世を生きにくくしているのは自分の心の置き方によるところが大きいのかもしれませんね

 

最後までお読みいただきありがとうございました

みなさんが心配をやめていつかこころがふわふわになりますように