中学受験の低年齢化

歩行者だって危険。小さなイライラとあおり運転と

子どもと手をつないで一方通行の細い道の端を歩いていたら、若い兄ちゃん二人組のトラックに真横でクラクションを鳴らされました。

「わ、びっくりした。鳴らすかね~」

思わず声に出てしまいましたが、こういうのってあのあおり運転の被害者の感じと重なるなと思ってはっとしました。

車ならまだ窓を開けないとか(車のケガも高くつきますが)なんとか警察に連絡するとかありますが、歩行者対車で、相手が車から降りてきた日には、ましてや子どもを連れていて(完全な丸腰ですもんね)というのはなかなかにひやりとする状況でした。

幸いというべきか、このトラックからは誰も降りてはこなかったのですが、人通りの少ない道で防犯カメラもあるかどうかわからない。そんなところで何かあったら。

端っこ歩いているのに車にどけとクラクションを鳴らされる不条理と、これまた不条理な身の危険にもやもやしました。

帰りの電車の通過駅で、降りる人が多そうだったので子どもと一緒に一旦降りました。

降りた先は狭いスペースで、ちょっと詰まりながら壁際によけていると、中年の女性に手の甲で払いのけられました。後ろ姿でさえその方の罵声が聞こえるようでした。

みんなが少しずつ我慢して、少しずつ譲り合えばたいがいのことはいい気分で終わるようなことに思えるのですが、お疲れなのかイライラして余裕のない人が多くて、あんまりハッピーではないな、と思いました。

ハッピーでないのはわたくしも同じでございまして、もう、こういやなことが行きも帰りもありますと、さすがに誰かに愚痴の一つも言いたくなりますし。

言われたほうだって不快だろうから言えずにもやもやしますし。

相手がいかに悪かろうと、しょうがないことって間々あるのですよね。

やりようはあるんでしょうが、事態が良くなることはほとんど望めません。

であれば、泣き寝入りかあ。むかつくわ。

なんだか損した気分。

ずいぶん長いこと生きてきたけど、この手のイライラ、引きずっちゃうわ。

こんなときは子どもに逆相談だわ。一緒にいたんだし。

「さっきトラックの人、真横で鳴らしたよね。ああゆうのいけないと思わない?」

「そうだね。びっくりするし、あぶないよね。」

「でもさ。怒ってけんかになっても困るじゃない。だから我慢するしかないんだけど。いらいらしちゃうよね。ママなんかずっといらいらしちゃってせっかくの時間がもったいないのよね。」

「そういうのはね。許して忘れちゃうのがいいんだよ。」

「許す。すごいね。でも難しいよね。どうやったら許せるのかな。」

「そういう人もいるんだなって。つまんないことは忘れちゃうんだよ。」

なるほど。殺伐としたり、自己中心的になったりする人にはきっとその人なりの背景というものがあって……。まあいいや。

この手の不条理のやり過ごし方もいろいろあって、

絶対トイレに行きたかったんだなと思えという人、

とっても不幸な人に違いないと思うという人。

確かにどちらも余裕はなくなりそうで、想像したらおかしいですよね。

許し方は様々ですが、どんな不条理でも、不条理というのは不条理なものですので一瞬でも早くに断ち切るのが賢いのには間違いない。

トイレの人は早くトイレにたどり着けますようにと、不幸な方はどうか幸せになって世間のぬくもりを感じてくれよと、願わずにはいられなくもないけど願うことにします。

守られている者と、守る立場にある者とではぴりぴりもだいぶ違うとはいえ、この子のお気楽さにはいつも救われます。

修行が足りないなとうなだれるわたしに手を引かれながら、どこかの飼い犬の遠吠えに「ワンワン!ワンワオ~ン!ワン!」と応えまくるわが子。飼い犬も吠えるのやめたらしい。

犬、何と思ったんだろう。真似しやがって?バカにされてる?吠えるだけ無駄な感じがしたのかしら。

「自転車のベルだって鳴らしたらいけないんだよ。知ってる?」と聞いてみる。

「知ってるよ。」

「なんでいけないんだ。」

「どけよって言われてるみたいでイライラするからだよ。鳴らされるといやなんだよ。」

「自分で避けないといけないもんね。前方優先だし。」

「そうだよ。だからどいてほしいときはね、あぁ~!あぁ~!あぁ~!あぁ~!ってよろよろしながらぶつかっちゃうよって感じでいうと、みんな笑って避けてくれるんだよ~!」

あれはそういう手口だったのか。ほんとに危ないのかと思っていた。

歩きスマホの人が前から来たら「わぁぁぁ~!!」っていうと気が付いてくれるんですと。

我が子の学校でもどなたかからご意見が出ると、大多数が楽しみにしていてもすぐに対応して中止。禁止。

幼稚園のこどもたちの声も「うるさいから外に出すな」

世の中が便利になって個人主義が進んで、誰ともかかわらなくても生きていけるようになったからなのでしょうかね。少し自分の思い通りにならないと苦情を言って言ったもの勝ちみたいなこの風潮。

すれ違う時にたったひとことすみませんと言ってもらえるだけで、

ちょっと微笑んでくれるだけでうれしくなってその日いちにちいい気分で過ごせるのに。

多くの人が優しいこの日本の中で、いつかそんな心地よさにふれて気付いてほしいです。

幸せっていうのはそんなに大きなものではなくて、日常のちょっとした心地よさの中に隠れているものだろうと思います。

孔子も人生で一番大切なことはと弟子に問われて「恕(じょ)=思いやり」と答えたんでしたっけ。「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」

思いやりとは「自分がされて嫌なことは、人にもしない」ことなのですね。

今は余裕がなくていっぱいいっぱいの方にも、ぜひ、ですが

みなさんの日常にたくさんの幸せがみつかりますように    (しゅう)